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ご存じですか?

第4回 将軍のお鹿狩り

松戸にはその昔、徳川家の将軍が鹿や、猪を狩猟し、全国にその名がとどろいた時代があったのを知ってますか。

現在の松戸市松飛台付近ではその昔、将軍のお鹿狩りの舞台として、華々しく脚光を浴びた時代がありました。
 1725年に8代将軍徳川吉宗がお鹿狩りを行なってから、合計4回、吉宗が2回、11代将軍家斉、12代将軍家慶が各1回づつ行ないました。

お鹿狩りが行なわれた理由

松戸には馬や、鹿、猪、犬など数多くの野生動物が生息していました。その野生動物は時折村へ降りてきては、畑や田んぼを荒らすので、農民達は役所に苦情を申し入れ、年貢減少の嘆願書を提出することもありました。
 そこで当時の幕府の将軍である吉宗が、農民の願いを聞き入れ、「農耕害獣絶滅」という大義のもと行なったとされています。が、時代劇でも有名な「暴れん坊将軍」吉宗。狩猟好きの性格と、民衆の要求がたまたま合致し、お鹿狩りが始まったともいわれています。
 それでも、民衆の要求を受け入れることによって、民心をつかみ、徳川家の勢力誇示や、家来への武士道の昂揚を示したことも確かなようです。

徳川吉宗の腕前と成果

1番最初にお鹿狩りを行なった1725年の吉宗について記述をみると、服装は立派な出立ちで、びろうどの羽織を着て、威勢良く馬にまたがり、自ら采配を振ったそうです。回りには騎馬隊、歩行兵、百姓勢子を大多数配備し、縦横無尽に駆け回り、鹿や猪を討ち取ったとされています。
 その成果は絶大で、余りに多くの犠牲動物がでたので、哀れみを感じてか、数千匹逃がしたとも記述されています。
 結局、鹿826匹、猪5匹、狼1匹を捕獲し、百姓にかつがせて持ち帰ったそうです。それにしても狼が、松戸に生息していたというのは驚きです。それだけ、自然が豊かな土地だったのでしょう。

大人気のお鹿狩りと、それから・・・

お鹿狩りは1回につき、1日5時間ばかりの行事ですが、幕府や、地方の役所、村々の人々一帯が大多数動員されました。これだけ壮大で、優美な国事は当時ではめずらしく、全国から注目を受けました。
 農民達は野生動物の駆除を喜び、庶民はお鹿狩りに興味を持ち、「御狩日記」とか、「小金原御狩之記」といった出版物が多く出回り、大変人気があったようです。
 しかし家慶の時代になる頃は、野生動物が激減していたので、お鹿狩りを行なう数ヶ月前に、上総や常陸の近隣諸国から飼育した鹿や猪を購入し、狩り場に投入して強引に行なったそうです。
 今では面影も無い、松戸の栄光の歴史お話でした。



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